ギコっぽい国際オタク情報配信プロジェクト
BARギコっぽいONLINEインターナショナルでこれまでに築いた海外のオタク人脈をもっと活用したい!と思い立ち、一般で配信の企画を始めることにしました。ゲストへの質問やリクエスト等はgikopoiworldアットyahoo.co.jpまで(アットは@)

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台湾のユーザーたちに会ってきました

(あらすじ)
ネットを通して長く交流してきた台湾人「愚かな藍星人」くんが、
徴兵で軍へ入るらしい。軍を出たら、研究者として大学に残るか企業に就職するか、身の振り方を考えないといけない。
学生時代最後の夏休み。おそらく時間に余裕を持って会えるのはこれが最後のチャンスであろう、
というわけで、台湾ギコたちに会うために台湾へ行った。
台北で台北駅地下街「正徳路商店街」などのオタクスポットを巡るなどして数日過ごした後、台南へ新幹線で向かう。(写真はオタスポットにあった看板)nagato


7月21日

高速鉄道(新幹線)で台南駅に着いて改札を出ると、愚かな藍星人くんが「ペボロさんようこそ台湾へ!」と書いたA3の紙を持って待っていてくれた。藍星くんは手作りで日本語のガイド本まで用意してくれていて、その作り込みようといったら旅行ガイド本レベル。台湾ギコにはできる子が多いのだが、あらためて驚いた。

バスで台南市内へ移動し、もう一人の台湾人ギコ「ハイタイ」ちゃん(台湾語で「お下劣」という意味らしい)という女の子がスクーターに乗ってやってた。2人とも私と知り合って2年以上になるギコっぽいのユーザーで、某国立大学の関係者。ハイタイちゃんは高校生のときにギコっぽいに出会ったらしい。

「じゃあ、スクーターの後ろに乗って移動しよう」と藍星くん。
台湾にはスクーターに乗っている人が非常に多い。台北市内では1台のスクーターに家族で4人乗り(前に子供、父が運転、後部座席の母との間にもう一人子供)してるのをタクシーから見て「すげえな」と思ってたのだが、まさか自分がスクーターに乗ることになるなんて。
「大怪我したらどうしよう」「旅券を手配してくれたえるまさんになんて言い訳しようと、あせったが、いざ乗ると2人ともかなり気を使って安全運転してくれて不安もすぐに消えた。

とにかく、台湾のスクーターは強い。大荷物を二つ抱え合計体重150キロくらいになったが、スイスイと走った。そして、台湾の人は運転マナーが非常にいい。これは大阪でやったら死人続出なのではと思うくらいスクーターが多いのだが、信号無視したりスピードを出しすぎたりする車をほとんど見なかった。二段階右折も初めて生で見た。
気温が34度あってかなり蒸し暑かったが、スクーターで風をきって走ると本当に気持ちいい。
特に海岸線を走ったときはさわやかだった。

スクーターでまずは二人の大学へ。もとは日本の高等工業学校。旧日本軍の軍事病院などもあって歴史を感じる建物がたくさんあった。
大学の構内に「この木なんの木」のような巨木があるのだが、この木は大学のシンボルらしい。
ホテルへ移動。部屋に荷物を置いて、ロビーに戻るとハイタイちゃんがタピオカ入りの黒糖ジュースを持って待っていてくれた。
コップを覆うカバーに極太のストローを突き刺して飲む。美味しい。ロビーで一休みしてから、ホテル近くの名所を歩いてめぐることに。
まずはチィカンロウという城へ。オランダが占領してつくった城を明の時代に鄭成功という漢民族の英雄が改造した建物らしい。明が内乱になって、清王朝が台頭したときに、台南は清への抵抗拠点になったのだそうだ。このへんの時代は、オランダ東インド会社とかもかかわってて、実におもしろい。
現在はチィカンロウは海神様が祭られている寺みたいになっている。この海神様っていうのは、ようするにシーサー、狛犬です。建物も沖縄にかなり近くて赤と黄色基調。
敷地内に黄金竹という黄色いタケがあった。その下に生えているタケノコを見てハイタイちゃんと藍星くんが「クリック!クリック!」とギコっぽいのネタをしてくれた。言葉も育った環境も違うけど、同じギコっぽいユーザーなんだなぁと感じた。

次は向かいのシィディンウミァゥというお寺へ。三国志の関羽の像が祭られていた。これは清朝時代の名残りらしい。朱塗り基調の建物で、国とはなんぞや、宗教とはなんぞや、文化伝播とはなんぞやというのが見えてきて非常におもしろい。
寺には黄色の短冊とスタンプが置いてあって、スタンプを押すことで来来キョンシーズのようなお札をつくれる。お土産用に「結婚・縁結び」のお札を量産した。
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その後、ふたたびスクーターに乗って孔子廟や霊を巡る。
昼食は市場でハンバーガー的なものを食べた。野菜とチキンにピーナッツバターのようなソースがかけてあって、不思議な味。けっこう量が多いが、2つ50円くらい。とにかく安い。日本語の台湾ガイドブックをハイタイちゃんに見せたとき「うえー!高い店ばっかり!ありえないよ!」って言ってた。日本の外食は高すぎるのかもしれない。まぁ、西欧はもっと高いんだけどさ。

名所巡りの途中で体力が持たずバテてしまってギブアップ。休憩ということで、「豆花」という豆腐をデザート風に食べる店「安平豆花」に入った。休日には店の外に長蛇の列ができるほどの人気店らしい。街の中心部からかなり離れた海岸の近くにあって、後でネットで調べてみると車を借りないと旅行者には食べに行くのは難しいと書いてあった。でも現地に友達がいれば簡単に行ける。ネット時代ならではの旅だ。

豆花を食べ終えて一息ついたあと、海へ行こうということになった。
スクーターに2人乗りし、海に向かって走る。浜辺につくと、道路沿いにトラックを改造した移動かき氷屋っぽい店があって、演歌のイントロが聞こえてきた。
おじいちゃんおばあちゃんたちがテーブルを囲んで、中国語で演歌を熱唱している。カラオケらしい。小汚い感じのトラックがとてもマッチしていて素敵な空間だった。
中国語演歌はほかの小汚い屋台でもたまに流れてたんだけど、途中で「ギュインギュインギュオンギュオン」とテープの音が飛ぶのがなんとも懐かしくて素敵。いまどきMP3プレーヤーどころか、CDですらないんだよ? 狙ってやっているんだろうかってくらい懐かしい「効果音」だった。

スクーターを降りて、海に向かって歩く。海の風景がギコっぽいの浜辺にそっくり。
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藍星くんによると、ギコっぽいの街でも海岸にみんなで立って「青春(チンチュン)」ってやってたのだそうだ。海の向こうは中国本土らしい。温かい潮風が気持ちいい。

スクーターで海岸線を走って、名所巡りを再開。でももう体力がない!すぐにヘバって「懷舊小棧豆腐冰」という喫茶店で休憩。店内に木彫りの仏像が置いてあって、中国風のインテリアでおしゃれな店。杏仁豆腐と果物を煮たソースがかかったかき氷を食べた。annin
ガイドブックには載っていなかった。現地の学生に人気の店を案内してもらえるのは本当にうれしい。食べ終えて、店の外に出たころにはもう暗くなっていた。

大東夜市へ向かう。yaichi
着くなり、熱気に圧倒される。そしてクサい。なんなんだこのにおいは。九份の商店街でもにおってきたアンモニア系の刺激臭。ふと目を上にやると、赤い字で「臭豆腐」と書いた黄色い旗がドーンとたなびいていた。
これか。これがりりこ○戸さんの言ってたあの「臭豆腐」か。汗ふきタオルや服にしみついて、おしっこに漬けこんだような刺激臭に変えたのはこいつか。
息を止めて、臭豆腐の屋台を通り過ぎた。それにしても、このクソ暑いのにみんなテーブルに腰かけてガツガツと飯をかきこんでいる。なんという食欲だろう。みてると元気が出てきた。
でも、料理を見てまわるとちょっと怖い。握り寿司をそのまま置いて売ってる。その場で握るんじゃなくて、もう握られた寿司を常温で屋台に並べて売ってるのだ。どう見ても当たるだろこれ。藍星くんは「ぼくらも屋台で食べる時には食中毒に相当気をつけるよ」と話してした。
台湾の原住民の料理として焼き肉が売られていた。三沢光晴みたいな筋肉ムキムキのおじさんがホイホイと手際よく肉を焼いて、焦げ目をとって切り刻んでタッパーにつめる。奥さんらしき人がそれにショウガとニンニクの丸焼きを添えて客に渡す。年季の入った流れ作業に見とれてしまった。

ゲームコーナーも熱い。ピンボールとパチンコを合わせたようなゲーム機は小さな子に大人気。
射的にはベレッタなどの短銃だけでなく、M16やM700などのライフルまで置かれている。たかが風船割りなのに、本気だ。
たくさん面白そうなゲームがあったんだけど、とりあえずみんなで輪投げと射的に挑戦してみた。戦利品は輪投げでラムネ2本、射的でボールペン1本。
射的ではベレッタを使った。金属製のブローバックガスガン。手にずっしりとくる本格的なモデルガンだった。

お腹はいっぱいだったけど、せっかく夜市に来たんだから何か食べようということで、生搾りのスイカジュース(50円くらい)と原住民料理のソーセージ&焼肉、ビーフン、トースターの中に海鮮シチューの入った料理を買った。
席について食べ始めたのはいいものの、また臭豆腐の臭いがしてきた。なぜ?こんなに離れた場所に座ったのに。
臭豆腐の屋台のあたりを見ると、大きな扇風機が首を振っていた。扇風機がこっちを向くたびに、食欲どころか気力までなくなるような臭いがしてくる。
もうさ、あんなもの人がもの食べるところで売るの、犯罪じゃん。あんなの食いたい人はウンコ食べればいいじゃん。と、臭豆腐を憎む。ちなみに台湾人もあのウンコ料理を好んで食べているわけではなく、ギコっぽいの台湾ユーザーの間でも嫌いな子のほうが多数派らしい。

時計を見ると、夜9時前。嵐のような一日だった。ホテルへ帰る途中、藍星くんの背中に手を置いてスクーターに乗っていると、不思議な感じがしてきた。
僕が彼らとギコっぽいで出会ったのは2006年ごろだっただろうか。以来、メッセンジャーや動画ストリーミング、メールなど、いろいろな方法で毎日のように話す仲になった。私は台南に来たのはこれが初めてだ。なのに、育った環境も言葉も違う外国人に、ここまで打ち解けて歓迎してもらっている。遠くにいて回線とPCを通じて連絡をとりあってきたのに、親友のような関係が出来上がっている。
昔、パリやロンドンであちらの学生たちに歓迎してもらったときにも同じことを感じたんだけど、そういうことを考えていると、目頭が熱くなってきた。

ホテルに着いて、藍星くんが帰りのシャトルバスの乗り方まで調べて教えてくれた。ロビーで「この恩は忘れないよ。朋友(ポンヨウ)だよ」と言って、固い握手をして別れた。
ホテルの部屋に戻ると、携帯電話に電話がかかってきた。台北で会う約束をしていたんだけど、仕事が入って会えなかったHIKOさんからだった。国際電話扱いになるから高いと私が言うと、ホテルの電話にかけなおしてくれた。国内回線で話すと、ネットのストリーミングで話すよりも声が少しだけ近くから聞こえるような気がした。「仕事で会えなかったのですみません」と言う彼。「近くに来て電話で話せただけでもうれしいです」と言い、少し長めの雑談をして受話器を置いた。

「じゃあまた、ネットで」。藍星くんたちと別れるときにも、HIKOさんとの電話を切るときにも、自然に出た言葉だ。ネットだと、遠くにいても連絡を常に取り合える。文字でも動画でも。これからますますそれが身近になる時代になっていくんだろうな。
シャワーを浴びて、SNSに一報を書いた後、ベッドに倒れて気絶するように寝た。
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