ギコっぽい国際オタク情報配信プロジェクト
BARギコっぽいONLINEインターナショナルでこれまでに築いた海外のオタク人脈をもっと活用したい!と思い立ち、一般で配信の企画を始めることにしました。ゲストへの質問やリクエスト等はgikopoiworldアットyahoo.co.jpまで(アットは@)

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BARギコっぽい国際の歴史

私から見たBARギコの国際分野の歴史をまとめておきます

・2004年4月ごろ
今は私の仲間内で「旧バーギコ(Old BarGiko)」「本家」と呼ばれる「BARギコONLINE」の存在を知る。
http://www13.plala.or.jp/bargiko/
今は「マルチスレッドチャット」になり話題ごとに部屋が分けられているが、
当時はギコっぽいのように一つの街があった。
最初は小さな街だったが、日がたつにつれて牛丼屋や多目的ホールなどの施設が作られ、街は大きくなっていった。

・04年5月ごろ
4chanでBARギコが紹介され、英語ユーザーが大量にやって来て荒らしを始める。
英語に慣れていないユーザーたちが反発。
当時、街の中心部に「地下へ伸びる」ビルがあり、各フロアが話題ごとに区切られていた。
ビルの地上階フロアにエレベーターがあり、それに乗って各フロアへ「降りて」行く仕組みだった。
外国人の荒らし対策のためか、海外からのアクセスはこのビルの地下9階だけに限定されることになり、一部の常連の間で地下9階は「出島」とも呼ばれた。

地下9階にはさまざまなユーザーがいた。
最初に出会ったのは当時大学生だったイギリス人の女の子で、
北野たけしについて教えてくれと声をかけられて仲良くなった。

学生が多かった。アメリカ人で、日本語を勉強していたXdata、日本語も話せないのに日本に彼女を作ってのちに私の家まで遊びにきたXipu。
フランス人のbo_giletは、06年に私がパリへ遊びに行ったとき、
某大学の中まで案内してくれた上、教授にかけ合って講義にまで招いてくれた。

デンマークの高校生、ドイツの実業家、オランダの音楽家、
料理人を目指している香港の高校生、部屋中に萌えフィギュアを飾っているスペイン人の学生…などなど
夜ごといろんな国の人と雑談した。

当時、「Project街」というアバターチャットサイトに日本文化を紹介できる建物が多くあり、
ネット上で外国人に出会うたびにここへ連れて行って「観光案内」した。
http://gpss.jpn.ph/sh3pub/machi/main.html

日本人も来ていた。ロンドンに留学していて日本恋しさから立ち寄っていた男性、
(のちに、ロンドンに行ったときに電車がストライキで立ち往生し、彼の友達に車で助けてもらったことがある。彼が当時住んでいた家にも立ち寄った)
ゲームや携帯着メロの曲づくりの仕事をしている女性音楽家、
のちにフランスに彼女をつくって、彼女の家からビデオチャットで私に挨拶してきた大学生…などなど。

・05年春ごろ
ふらりと立ち寄ったBARギコ地下10階で、カウンターに一人座っていた||||氏に出会う。
地下10階はFlash専門のフロアだった。
当時、たびたびBARギコが落ちていたため、
「世の中にBARギコがもうひとつくらいあってもいいと思いません?」「資金提供しますよ」
などと一つ作って維持するのにいくらかかるとも知らずに適当なことを吹いてしまった。
(今でもなぜこんなことをしたのか信じられません。酒に酔っていたのでしょうか)
||||氏は「いま仲間内でそういう話が出てるから、そのときになったら連絡するよ」と言ったが、
私はそのままとんずらするという人として最低のことをしてしまう。
(当時、||||氏や猫アイボ氏は地下10階の住人で、「BARギコ10F倶楽部」という会をつくっていた。この会がのちにギコっぽいを生むことになる。ちなみに10F倶楽部時代からのメンバーで、今も開発陣にいるまいこん氏は、当時高校生だった)

・05年7月
いつものようにBARギコ地下9階で雑談をしていると、ユダヤ系アメリカ人のDavid(車オタク)が「大変だ!」とフロアに入ってきた。
何事かと思ったら「新しいBarギコができたらしいぞ」とのこと。
「まさか…あの人が?」行ってみると、サイトに||||氏の名前。しかも運営資金を募っている。
適当なことを吹いた上にとんずらした罪の意識に耐えられなくなり、1万円ほど寄付する。
||||氏は私のことを忘れている様子だった。

ギコっぽいは旧バーギコにはない音声配信の機能を備えていた。
が、一度にアクセスできる人数は数十人に限られていた。
||||氏たち開発陣は、街を大きくするのにマクロメディアのウン十万円する高額のライセンスが必要と言っていた。運営資金を募っていたのはそのためだった。

世の中は面白いもので、私の寄付と同時に、あるユーザーがウン十万円全額の寄付を申し出た。
この「神」の出現で、ギコっぽいが収容可能人数を高めて急拡大していく。

・11月ごろ
BARギコっぽいに映像を配信する機能が加わる。
4chanでギコっぽいが紹介され、大量に英語ユーザーがやってくる。
アメリカ人ユーザーのAmerican Fattyはこのころにやってきた。
Fattyは朝も夜も毎日ギコっぽいや旧バーギコに居ついていたので、
日本人の常連たちに「あいつ学校は大丈夫なのか」と心配されていた。

American Fattyと古くから常連だったオランダ人ユーザー(Enigma)が英訳に協力し、
ギコっぽいInternationalが併設される。

・06年
台湾の巨大掲示板PTTでギコっぽいが紹介され、台湾のユーザーが増え始める。
夏ごろ、American Fattyがアメリカ人GMを増やし始める。

・07年初頭-5月
GMパスがアメリカ人の荒らしの集団に漏れ、台湾や日本のユーザーへの嫌がらせが始まる。
Zerochanという英語を話す自称スウェーデン人のユーザーがGMに就任。
だが、Zerochanはユーザーに英語のみを話すことを強要。

Catarp!やNerg、fkn catなどのアメリカ人の引きこもりが開発室に居座り始め、
やってくるユーザーたちに嫌がらせを始める。
古くからの海外ユーザーたちが「あの引きこもりどもと一緒にいたくない」と去り始める。

Zerochanのシステムを悪用した嫌がらせがひどくなってくる。
日本語や中国語をランダムにNGワードに設定。他言語を話せなくしたり、
ユーザーをキルしたりしはじめる。

・6月
Zerochanが解任される。
日本人、台湾人、ブルネイ人、アメリカ人、フランス人による共同管理体制に移る。
アイルランド人も後にGMとして加わる。

変態ねこさんの音楽著作権についての漫画の翻訳プロジェクトが始まる。
英語、中国語、フランス語版が完成し公開される。
http://l4cs.jpn.org/gikopoi/manual/en_flash_copyrights.html

アルジェリア人ユーザーなどの協力で、アラビア語版やマレー語版も一応作られるが未公開。

英語、中国語、日本語での街の地図が完成し公開される。
http://l4cs.jpn.org/gikopoi/manual/image/en_gikopoi_map.jpg

・9月
CatarpやNergたちの他国ユーザーへの嫌がらせが本格化してくる。
男性器をビデオにうつしたり、ここには書けないことも色々。
同時にアイルランド人GMが「Nergたちをキルするなら俺はGMを辞める」などと発言し始め、
不穏な空気が漂いはじめる。

・11月4日
「インターナショナル事件」発生。
アメリカ人の荒らし集団にパスが漏れ、ユーザーの虐殺が始まる。
インターナショナルは無法地帯に。
(事件の詳細は、また機会があれば書きます。みなさんお世話になりました)
英語圏GMは責任をとって総辞職。インターは一般と台湾のGMで管理する新体制に。

台湾街地区建設プロジェクトが始動(これについても、詳細は今度書きます)

・12月6日
ギコっぽい国際オタク情報配信プロジェクトが始動
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コメント

そんなことがあったのか知らなかった。
【2008/02/14 23:33】 URL | ジュニア常連〈3年〉 #Ec1dsEF6[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2016/11/24 21:48】 | #[ 編集]

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